杉田エース

商品案内

1582年「本能寺の変」~違った角度から見る~

6月21日は「本能寺の変」が起った日といわれています。京都本能寺に滞在中の織田信長を家臣明智光秀が突如謀反を起こし襲撃と、学校の教科書に掲載され授業でもその様に習います。


しかし、謀反の理由が長年の恨みを晴らす為とは奇妙に感じます。戦国時代は、奉公先を間違えると一族諸共消滅する時代です。何が何でも、一族で生き残りたい筈なので我慢は必要ですし、奉公先を変えることも可能な時代でした。そんな時代に、恨みのせいで謀反を起こすとは子供だましに思えます。光秀の人相は、悪行を行いそうに無く、どちらかというと罪を着せられそうな顔立ちです。となると、明智光秀を表に立たせ黒幕がいたという説もあり得ます。


諸説ありますが、「イエズス会関与説」というのが腑に落ちます。戦国時代には、布教といいつつアジアの国々に武力侵略を行ってきた、キリシタン(イエズス会)が多く日本に入っていました。最終目的は侵略する事でしたが、当時の日本は統一していないものの世界最強でした。武力侵略は危険であると、信長の近辺でスパイ活動を行っていたフロイスの報告書が残っています。宣教師達は、表で布教を装い様子を伺いながら、人々を洗脳し、ローマ本部に情報を送り日本侵略の機会を狙っていたのは間違いないでしょう。布教と共にキリシタンが急増し、1582年には全国で約15万人の信者がいたそうです。この数字は当時の京都の全人口のほぼ半数でした。


宣教師の手口は始めに布教活動をし、次に商売をして金を巻き上げ、最終段階に武力侵略をします。資金源は、麻薬輸出・武器輸出・人身売買で、麻薬で取引先を再起不能にしてから、武器を戦う双方の国に売りつけ、戦争の混乱に乗じての人身売買を行います。現在でも良く見るシステムです。豊臣秀吉が天下人となった時代、日本から誘拐され売られた人は5万人といわれています。教科書には掲載されませんが、秀吉は海外で売られた人々をも助けに行き買い戻し、「宣教師追放令」を発して日本人を守りました。後世では徳川家康が、鎖国という形で日本を彼らから守り抜きます。


宣教師達から見ると、日本を統一する能力のある信長は邪魔でしかありません。日本が分裂している隙に事を起こしたい筈です。明智光秀の娘が、キリシタンであるという点も気になるところです。真実が都合の悪い者によって書き換えられた場合もあります。違った角度から見ると、分かるかもしれません。


杉田エースは、「ミラー」を取り扱っております。
♪商品の詳細は、スギカウ総合カタログ2022 1362~1371ページをご覧ください。

 

アクリルアンゼンミラー/SUSアンゼンミラー

 

フレキタイプミラー(室内専用)

 

FFミラー車出口(屋外可)